ネツハラからの脱却Vol.006 おかげさまで

おかげさまで「ネツハラからの脱却」の連載が半年を迎えました。 

読んで下さっている皆さん、ありがとうございます。 

今後ともよろしくお願い致し…と言いたいところですが、めでたいことばかりではありません。 

というのも、圧倒的ネタ切れに陥っているのです。笑  


ネツハラを強く意識していたのは1年生、2年生、3年生の時でした。 

4年生になった今、私の周りからネツハラは消えました。 

ネツハラしてくる人は卒業しましたから。 

言い換えれば、純度100%のネツハラをしかねない学年になったといえます。 

だからこそ、ネツハラについて書こうと思ったのです。 

しかし、新たなネタは供給されないので消費ばかりでジリ貧です。


思い返すと、ネツハラはその時の状況、立場で見え方が変化しています。  

1年生の時は先輩の災害救援への勧誘が、暑苦しい、しつこい、ウザい、としか感じられませんでした。ネツハラとの初めての出会い。 


2年生の時は災害救援に対する気持ちが芽生え始めた時期で先輩の気持ちも少しは理解できるようになりました。

また、学年も上がり勧誘する(ネツハラする)立場になりました。ネツハラするまいと思いながら勧誘するも、結果、ネツハラになってしまったことが何度もあります。勧誘する立場になったら、なったで いきなり「何人連れてきて!」と、まるで営業マンのようにタスクを押し付けらました。 新たなネツハラとの出会い。  


3年生の時は災害が起こる度に、「行くなら何人くらい人手いるやろ?」などと、考えるようになりました。 

毎回本部から私が思うより多い人数を提示され「マジでw」といいながら、後輩に「何人連れてきて!」といっていました。 もし、その頃の私が巷を賑わしているNi○iUのオーディションを受けたら、プロデューサーJ.Y.ピィーarkに「真実、誠実、謙虚」と吐き捨てられて落とされるでしょう。


そして、4年生の今。 私からは見えなくなったネツハラを改めようと試みています。  


こう考えるとネツハラって厄介で学年が上がるに連れて見えなくなり、またやってしまいます。 昔は嫌だなと思っていたことが「IVUSAって、ボランティアってこういうもん」と、片付けられるようになってくるからでしょう。  


しかし、それではネツハラはなくなりません。 

災害救援またボランティアに参加してくれる人が減ってしまいます。 

発言、行動の「なんで」をみんなで共有することが必要です。 


私は残りの半年、みんなで「なんで」を共有する一つのツールとしてこの連載を続けていきたいと思っています。 

ないネタを絞り切って。 





減災ファクトリーとは 

①減災についての知識を持つ人をどんどん生み出していく場 

②子ども向け防災プログラム実施を形にしていく製作所 

という2つのメッセージが込められたチームです。様々なコンテンツやイベントを設置しながら、“減災”の考えと行動の普及を目指して活動しています。


=ここまでの回= 


この記事を書いた人

横谷謙太朗 大阪東大阪クラブ、近畿大学、4年 

28期減災ファクトリー西日本工場長

1年生時に災害救援活動に参加し、その現場での経験から防災・減災に目覚める。その後、防災士の資格を取得したほか、クラブでの減災事業の実施などに取り組んできた。 好きな歌手誰?と聞かれた時に本当はスガシカオだが、それではハネないのでKing Gnu と答えがち。 



0コメント

  • 1000 / 1000