―― お母さんに「こちらのモノどうなさいますか?」と尋ねていく回数が増えれば増える程、不機嫌になる上に「いらない」と答える回数も増えていった…
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さて、お母さんがまた「いらない」と答えた。それはお母さんのブランド物に疎い私でも分かるようなブランド物のカバンだった。外は泥で汚れてはいるが、中は綺麗で拭いたらまた使えそうだった。
「いらない」に不信を持つ私は「まだ使えると思いますよ」「中は綺麗なままですよ」などと、何度も尋ねた。お母さんは「使う時無いからいらない」と何度も答えた。 後半は明らかに「しつこいぞお前」と言っているようだった。
私はしぶしぶ、ブランド物のカバンを手に「いらないモノ置き場」に向かう。
向かっている間、到着してからも、私はこのカバンを捨てることに全く納得していなかった。持ち主でも無い私が納得する必要があるのかという問題はあるが、ブランド物のカバンすら持っていない私からしたら、それを捨てることは「もったいない」ことで捨てるということは考えられず、捨てるなら捨てるなりの正当な理由が必要だった。
私は、持ち手の付け根が痛んでいないか、底の角が擦れていないか、など捨てる正当な理由をそのカバンから探した。
探した結果、一つ思ったことがある。
このカバンなかなかオシャレ。さらに、男性が使っても問題ないデザイン。意気揚々とファッションショー気分で大学に通う、ウェイ系の男子学生の手に持たせても何の違和感もない、ということである。
こんなことを思っている時点でカバンには捨てることを正当化できる痛みはなかったということであり、私は端からこのカバンを捨てる気が毛頭無かったのだろう。 泥で汚れていてもオシャレと思わせるカバンのポテンシャルに私は興味を持った。
「綺麗にしたらどうなるんやろう?」
試しに泥汚れを拭いてみた。拭けば拭く程、泥に隠れていた細部のデザインが浮かび上がってきた。全て泥を拭き終わったころには見違える姿になっていた。めっちゃオシャレ。 本来の魅力を取り戻したカバンが私を魅了する。
そういえば、お母さんは使う時がないとおっしゃっていた。使う時がないなら私が使おうかと考える。捨てられるくらいなら、誰かに使われる方がカバンとしても本望だろう。これで大学に通えば、周りから羨望の眼差しで見られるかもしれない。カバンをキッカケに私もウェイ系の仲間入りを果たせるかもしれないなどと妄想が膨らんだ。
だが、私は大学でブランド物を身に着けているウェイ系の人たちを「ブランドでしか自分を表現できない奴」とバカにしていることを思い出す。そんな私がブランド物を身に着けるという醜態は晒せないという思い、バカにしているウェイ系のことを内心、憧れていることに気づいてしまった自分を否定したい思いにより貰うことは断念。
貰うことは断念したものの捨てるには惜しい綺麗になったオシャレなカバン。よくよく考えると祖母と同じ年代の人が持つには相当ハイセンスだと思った。きっとお母さんはオシャレさんだ。
「オシャレさんなお母さんがこのカバン捨てる?」
「あんだけ聞いても、捨てる言っとたし捨てるやろ」
「俺、捨てへん思うねん」
「そう?使わんて言うてたで?」
「綺麗になったし使いたくなるやろ」
「なんで?」
「オシャレさんやもん」
「なるほど」
このような自問自答を脳内で繰り広げ、私は捨てない理由として「お母さんはオシャレさんだから」という、吹けば飛ぶようなものを胸にカバンをお母さんのもとに持って行った。
勇気を振り絞り「こちらのモノどうなさいますか?」と尋ねる。
お母さんが不機嫌そうに私を見る。
その後、カバンに目をやる。
すると、お母さんは「こんなに綺麗なの捨てないわよ!!」と般若のような表情で吐き捨てた。
私は戦慄し、それから、いっそう痛快になり笑った。
「オシャレさんやん!」
お母さんは見えていないだけだった。 オシャレなカバンと泥汚れはあまりにも不釣り合いで、カバンの輪郭を歪めていたから。
そして、このやり取りにより私の「いらない」に対する不信は、「いらない」と言ったモノの中にいるモノがあるという確信に変わった。
私は「お母さんはオシャレさん」という吹けば飛ぶようなものに確固たる自信を持ち、「いらない」と答えたモノからセンスの良いモノを選抜し泥を落とした。そして、それらを手にお母さんに尋ねる。 再度「いらない」と答えられたモノもあったが「残しとく」と答えて下さったモノもあった。お母さんはその間、相変わらず不機嫌だった。それらのやり取りや態度は変わらずしんどかったが、それは災害のせいであり、普段はオシャレさんだと思うと少し可愛く思えた。
帰り際、お母さんに「いらない」と答えられたモノを幾つか綺麗にして再度尋ね、「残しとく」とお答えになったものがあることをお話しした。お母さんはそのことに全く気づいておらず驚いていらした。
そして、
「いらないと答えたモノをもう一度見直してみるわ」
と素敵な笑顔を浮かべておっしゃった。
その時、私は報われた。
散々お母さんを不機嫌にさしてしまった私であったが、それは無意味ではなく最終的にお宅の方の大切な家財道具を守ることに繋がったと感じたからだ.....と、いうのは表向きのカッコつけた感想。そんなことを瞬時に思える程、私は人間出来てはいない。 本当は笑顔が見られたから。
その笑顔は普段、ブランド物のオシャレなカバンでお出かけする姿を容易に想像させ、お母さんの輪郭をハッキリとさせた。
お母さんはオシャレさんだ!.....知らんけど。
これが、私が家財道具の整理は一番しんどかったことかの“何故”だ。
付け加えて、家財道具の整理は一番嫌だったことではなく、一番やりがいを感じたことだ。
【この記事を書いた人】
横谷謙太朗
大阪東大阪クラブ、近畿大学、4年
28期減災ファクトリー西日本工場長
1年生時に災害救援活動に参加し、その現場での経験から防災・減災に目覚める。その後、防災士の資格を取得したほか、クラブでの減災事業の実施などに取り組んできた。 好きな歌手誰?と聞かれた時に本当はスガシカオだが、それではハネないのでKing Gnu と答えがち。
※減災ファクトリーとは
①減災についての知識を持つ人をどんどん生み出していく場
②子ども向け防災プログラム実施を形にしていく製作所
という2つのメッセージが込められたチームです。
様々なコンテンツやイベントを設置しながら、“減災”の考えと行動の普及を目指して活動しています。
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