湯田の旅路2019年夏その3〜アウシュビッツ(ポーランド・クラクフ)編〜

みなさん、こんにちは。IVUSA非常勤職員の湯田です。 

先日から、WE DO MOREの記事で、湯田の旅路をご紹介していますが、今回は、ポーランド・クラクフ。ナチスによるユダヤ人大逆説で有名になった【アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所】跡地の見学ツアーへの参加したことを中心に綴りたいと思います。 


▼湯田の旅路とは?まだの方は、よろしければこちらも併せてお読みください♬ 

湯田の旅路2019年夏その1〜内モンゴルで結婚式参列編〜


湯田の旅路2019年夏その2〜コーカサス地方・ジョージア編〜 




今回の私の旅は、8/22〜9/22の1ヶ月間でしたが、ポーランドへ訪れたのはその終盤。ドイツのベルリンからLCC、ライアンエアラインの格安航空券で向かいました。ヨーロッパの旅は、EU圏内の移動が安くて気軽に出来るのが、魅了の1つですね。 さて、今回の旅でポーランド・クラクフを訪れた一番の目的は、<アウシュビッツ強制収容所>を訪れること。 


アウシュビッツ、ナチスドイツ、ユダヤ、ホロコースト、アンネの日記… 

このあたりの名称は、ニュースや社会科の授業などで見聞きしたことがあるのではないでしょうか。私が最初にこの情報に触れたのは確か、小学校高学年で“アンネの日記”の漫画を読んだ時だったように思います。 


「なんでこんなことが起きたのか…?」

「とにかく怖い …」

そんな感情とともに、詳しく知りたいけれどなかなか踏み出せない状態だった私が今回、この地へ向かうきっかけとなったのは、海外に住む友人からアウシュビッツ強制収容所を訪れ、日本人唯一の公認ガイド、中谷剛さんのガイドツアーを受けた話を聞いたから。


「ただ事実だけを伝えるのでなく、様々な国の歴史や現代の社会問題など、多面的な角度から“考え続ける”大切さを教えてくれるし、絶対興味あると思うから行った方がいいと思う!」 と強く薦められたのです。


 “社会のコトを考えるきっかけとなる”機会を創ることをライフワークとしている私は、その薦めに惹かれ、行くことにしました。




そもそもアウシュビッツ強制収容所とは? 

ユネスコの世界遺産に登録されている正式名称は、「アウシュビッツ・ビルケナウ−ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所(1940-1945)」。 


ここで、1940年6月14日からソ連軍によって解放された1945年1月27日まで4年7ヶ月に及ぶ「ホロコースト」という人類史上例を見ない悲劇といわれています。ホロコーストは、一般に「ユダヤ民族大虐殺」を表す言葉。収容所内の犠牲者の数は110万人を下回らないと言われていますが、収容された人たちは囚人番号を振られ、もしくはすぐにガス室に送られたため、個人の存在を記録されておらず、正確な犠牲者の数は永遠にわからないといいます。 この強制収容所が、博物館となったのは、1947年。 


「二度とこのような歴史が繰り返されないために」 

元収容者が職員となり、歴史を伝達するために始まったそうです。 


なぜ、ナチスはドイツの政党なのに、ポーランドに強制収容所があるのか? 

それは第二次世界大戦が、ドイツのポーランド侵攻によって始まったから。直後、ポーランドはドイツに全土占領されたのです。 



なので、この強制収容所に収容されたのはユダヤ民族だけでなく、初期の頃は主にポーランド人―ドイツの占領に反発する活動家、そして大学教授などの知識人・協会の神父など、社会的なリーダーなどが多く収容されていました。 また、今日では一般的にロマ(人間)と呼ばれる「ジプシー」、知的障害者、同性愛者、エホバの証人も収容されていました。  

(参考文献:中谷剛「ホロコーストを次世代に伝える」)



▼さらに詳しく知りたい方へ

ガイドの中谷さんのこの本、ぜひ読んでみてください。

 ホロコーストを次世代に伝える―アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして (岩波ブックレット)  


さて。今回、ガイドをして下さった、中谷剛さんは、ネットで調べると、wikipediaにも名前が出て来る、知る人ぞ知る著名人。約20年、強制収容所のガイドをされており、年間450回ほどガイドされているそうです…。 


約3時間、第一収容所(アウシュビッツ)、第二収容所(ビルケナウ)の2つを案内してくださいましたが、あっというまに感じました。事実だけでなく、今の日本の問題や、世界の歴史に繋がる話をしてくださることで、 “今、私たちは、このようなことを二度と繰り返さないために何が出来るか?” を、問い続けられた気がしています。 


中でも印象に残ったのは、この出来事を、 “ヒトラーという1人の政治家の責任、というだけで片付けないことが大事。” ということ。国内も、そして国際世界も、「傍観者」がたくさんいたから、この出来事が起きてしまったのです。 


今、世界でも“難民”が国際的な問題となり、【多民族の共生共存】は大きなテーマとなっています。 私たちは、どう生きるのか。 

「自分たちには、関係ない」と、“傍観者”になるのか。 

これはそのほか、すべての問題についてもいえそうです。


中谷さんは、 「“忘れない”、という気持ちが被害者にとって一番大事」だと仰っていました。 

どう記憶に残し、どう未来に活かすのか。 

決して過去の歴史上の一出来事でなく、私たちの今、そして未来に繋がることです。



ちなみに… 中谷さんのガイドツアーに申し込む方法は、大きく2つあります。 

・個人でメールアドレスにメールを送る(nakatani★wp.pl) ★を@に 

・一般のツアーで“日本語アシスト付き”を申し込む(ガイドが中谷さんかどうかは、運次第) 


私は、個人のメールアドレスにご連絡をし、連絡が取れましたが、結果的に瞬く間に定員が埋まってしまい、結局個人の申し込みが出来ませんでした。そして泣く泣く、VELTRAで申し込み。“日本語アシスタント解説付き”のもので、中谷さんに当たることを願いつつ、申し込みました。結果、到着後は個人で申し込んだ方々と合流し、13人程で回るツアーとなりました。 


▼私が申し込んだのはこちら!
<クラクフ市内観光付き>コース



強制収容所の見学ツアーの後は、クラクフの市内観光。日本に留学されていて日本語が流暢な、ポーランド人ガイドさんにガイドいただきました。

クラクフの街は、ものすごく可愛い街並みでした。美しい建物や教会がたくさんあります。


街の中心を流れる川も、絶景です。


ただ、先のツアーで中谷さんにお聞きした情報によると、このように美しい建物が残った理由は、第二次世界大戦中ドイツに侵攻されている間、ドイツの偉い軍人が住んでいたから、美しく造らせ、戦禍を免れ残ったとのこと。観光客として訪れた私の目に“美しい”と映るものも、それが残された背景には、様々な理由があるなぁ、と改めて、目に見えるものの奥を想像する大切さを感じました。



実は2019年は、日本との国交は100周年を迎えました! 歴史の時間にはあまり習わないであろうポーランドですが、美しい街並みや美味しい料理だけでなく、歴史を学べる素敵な場所でした。物価が安いことも、日本からの旅先としては、魅力の1つ。興味がある方は、ぜひ訪れてみてください。  



この記事を書いた人 

湯田 舞  

IVUSA非常勤スタッフ IVUSAでは、フィリピンツアー通訳兼コーディネーター/減災プログラム化/社会課題を自分ゴトとして考える場”Social Salon in IVUSA”をやっています。IVUSAのOGではなく、大学時代は少林寺拳法ばっかりやってました。宜しくお願いします

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