2019年10月23日で、故郷長岡市で中越地震が発生して15年が経ちます。
今回は、IVUSAの学生と歩んだ復旧復興活動の日々をふり返ってみようと思います。
中越地震の三ヶ月前に、「7・13水害」が発生し、長岡市は大きな被害を受けました。IVUSAと連携し、様々な活動を行いましたが、自分の故郷に災害が起き、IVUSAを呼んで活動をするとは考えたこともありませんでした。この水害の活動が終わったあと、これからの人生で長岡市にまたIVUSAを呼ぶほどの大きな災害は起こるはずがないと思っていました。
(「7・13水害」時の自分 )
「7・13水害」から三ヶ月後、私は妊娠中の妻と友人夫妻とで福島県喜多方市へ旅行に出かけていました。宿舎に到着したときに、揺れを感じ、テレビをつけると、長岡市に大きな被害があることを知りました。すぐに長岡市に戻り、被災地の議員としての責務を果たしつつ、IVUSAと連携をしながらの復旧・復興活動を始動。ボランティアセンターの設立と運営、避難所の運営、家屋の片付け、救援物資の仕分けと配送、炊き出しの実施、仮設住宅への引っ越し……など、活動は多岐にわたりました。
活動を通じて見えてきたものがありました。それは地震の被害以上に深刻な過疎化や高齢化といった地域の衰退です。IVUSAと力を合わせれば地域の活性化が可能ではないか、そう思い取り組みを始めました。 そこでまず、活動地域を決めました。それが中越地震によって、栃尾市(現、長岡市栃尾地域)です。大きな被害があったものの、マスコミに取り上げられることも少なく、外部からの支援もほとんどなく、「見捨てられた被災地」と言われたほどでした。
栃尾を活動地域にと考えているところへ、平成18年(2006年)豪雪が発生。そこで、栃尾での除雪ボランティアを募り、IVUSAの学生とともに除雪のお手伝いをさせていただきました。この活動を通じて、仮設住宅の住民の方々との絆が出来はじめ、その絆によって、仮設住宅にひまわりを植えたり、文集を作成したりと様々な活動を行いました。
のちに仮設住宅は役割を終え、閉鎖されることになりましたが、「この住民との絆をさらなる地域活性化につなげたい」と思い、古民家を借りて、定期的に栃尾を訪れる活動をスタートしました。震災から数年が経ち、災害ボランティアから地域活性化の活動に変わってきたこともあり、「栃尾ふるさとづくり活動」と活動名を決めました。 定住人口が減少する地域に交流人口を増やすことで持続可能な地域を創ることを目的とした活動です。
その後、老朽化により、古民家での活動は終わりましたが、児童養護施設の子どもたちと行う「子ども隊」、そして「長岡まつり」や「とちお祭り」といったお祭りの活動など多くの活動が現在も行われています。これらの活動の原点は、中越地震にあります。
(今年の長岡まつりでの様子)
中越地震の発生から15年の間、多くの学生が災害ボランティアや地域活性化のために長岡で活動しました。IVUSAの学生には長岡での経験を活かし、卒業した後も防災や地域の担い手として活躍していただけることを願います。
この記事を書いた人
桑原 望
長岡市議会議員、IVUSA理事、IVUSA第6期学生代表
昭和51年(1976年)新潟県長岡市に生まれる。現在、43歳。
表町小、東中学、中越高校を経て国士舘大学入学。 IVUSAに所属、4年次に第6期学生代表となる。 (株)原信入社後、大学院進学。
26歳で長岡市議会議員選挙に立候補し、史上最年少で初当選。
現在、5期目。
NPO法人国際ボランティア学生協会理事。
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