“できること”の再分配が自分とその子と日本の未来をつくる

 


「子どもの教育支援」と聞くと、あなたは何を思いますか?

― 子どもかわいい 

― 楽しそう 

そんな感じの方も多いのではないでしょうか? 


子どもは確かにかわいいし、一緒に遊ぶのは楽しいですよね。 

(子育てをしたことがないから言えることかもしれませんが) 


今回は私たちが経済的なハンディキャップを持つ子どもたちを対象に実施している『未来サポートハウス事業』を少しリニューアルしようとしていますので、それについて紹介したいと思います。 


▼以前の記事はこちら


■生活困窮世帯の子どもを支援する 未来サポートハウス事業『ミラサポ』とは 

『未来サポートハウス』という名称には、子どもたち自身が将来を考えたり、現状を変える力を養ったりできるような“未来をサポートする”場であること。また、子どもたちも関わる学生も家族のようなあたたかな関係性を結ぶ場であり、一方的に「教える」だけにはとどまらない、子どもたちの第三の居場所=家とするという想いを込めています。  


これまで2014年から京田辺市での委託事業を始め実施してきた学習支援を主な目的とした「スタサポ」に加え、2019年に泉大津の委託を受けて居場所支援を主な目的とした場も増えました。

今後はもう一つの分野「体験支援」を加えて、3つのポイントから、子どもたちの未来づくりをサポートしていきたいと考えています。 




■何のための活動? 

子どもの貧困という文脈の中で問題として取り上げられるものが【貧困の連鎖】です。

貧困の連鎖とは、親の世代の貧困が子どもの世代が大人になった時の貧困へと受け継がれていってしまう可能性の高さを指摘したもので、その連鎖を防いでいこうということで、だいたい5年ほど前から様々なセクターにより様々な取り組みがされています。 


ちなみに、ミラサポが対象としている子どもたちは、委託を受けている自治体の指定によりますが、生活保護受給世帯のほか、就学援助を受給している世帯、ひとり親世帯の子どもたちです。 


▼日本にも貧困ってあるの? 

日本の貧困について気になった人はこちらをご覧ください。


 [日本財団 子どもの貧困対策]



▼ひとり親世帯がなぜ対象に? 

ひとり親世帯の貧困率は50%を超えており、OECD加盟国中でも最低ランク。日本型賃金体系やそれを形作るジェンダー不平等に端を発しており、社会の抱える問題の一つ。


 [平成26年版「子ども・若者白書」,第3節 子どもの貧困] 


[ニッポンドットコム「一人親貧困率ワースト1、特異な日本型賃金-子どもの貧困の実相(下)」]



 ■子どもたちは何に困っているの? 

そもそものところ、子どもたちの貧困=保護者の貧困であり、子どもたちは自分で「貧困を脱する」という意思も努力も関係なくその環境におかれます。 

なおかつ、そうして自らの努力とは切り離された事柄によって「自らも貧困となる可能性が高まる」。 

理不尽ですね。 


世の中の全てが公平でないにしても、「機会が公平」であれば、救われることもあるでしょう。例えば「逆境をばねにがんばって一旗揚げる」とかが一定程度可能であれば、話は別な気もします。 


ですが、現在の日本の社会では“格差の固定化”が進んでしまうような構造化が進んでいる部分があり、正直なところ、様々な年代において「希望を見出しづらい」ような社会となっていることもまた、社会問題としてあげられる点です。


▼日本における格差の固定化については例えばこちら 

ダイヤモンドオンライン「日本の問題は収入差の拡大より、むしろいろいろな格差の「固定化」が進んでいることだ(山田昌弘・中央大学教授インタビュー 2014年6月19日) 



 ■子どもたちはなぜ困るの? 

“逃れられない・選べない環境”は子どもたちの様々なところに影響をし、貧困が受け継がれていってしまうということが分かってきています。 


前述の日本財団子どもの貧困対策チームが発行した新書「徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃」で触れられているような「社会的相続」についてなど様々な概念や知見と研究がされていますが、ここでは大阪府が実施した「子どもの生活に関する実態調査」及びその報告書から紹介してみたいと思います。 細かなデータは割愛しますので、気になる人はレポートに目を通してみてください。


 [大阪府「子どもの生活に関する実態調査」及び子どもの貧困対策に関する具体的取り組みについて]




■“貧困の連鎖”の図式から読み解いてみる 

先ほど貧困の連鎖について触れましたが、これまでの貧困の連鎖の図式はこんな感じ。 


 主に、経済的な理由により「十分な教育が受けられない」ということがカギとなって、貧困の連鎖がつながる表現となっていました。


 これだと 

「塾に行けないからかー」→「え、でも、塾に行けなくてもがんばれば良くない?」

 という感じる方もいるかもしれません。 


▼なぜ教育機会がそんなに影響するの? 

これを読んでいる方は「大学は行くもの」として入学した方も多いと思いますが、日本は“学歴社会”です。

 [NIKKEI STYLE マネー研究所「学歴なんて関係ない」の真実 生涯賃金これだけ違う] 



対して、大阪府の実態調査によって明らかになってきた図式はこのような感じです。 塾に行けるかどうかだけではない子どもたちの影響状態が見えてくるのではないでしょうか。 



 なんとも複雑になりましたが、実際はより複雑だと思いますので、ご容赦ください。 大事なことは【塾に行けないこと以外にも、世帯の経済状況により様々な要素が影響して連鎖が起きる可能性が高まる】ということです。 なお、学習に関して言えば、「経済的に厳しい家庭の子どもほど家庭学習の時間が増えても学習理解度につながりにくい」という点も示されていました。 


一部抜粋するとこんな感じ。


①様々な体験や会話による学習モチベーションの上昇機会が少ない 

経済的に厳しい家庭ほど親子の接する時間が少ないことが指摘されており、それと関連して「ニュースなど社会のできごとを話す」「おうちの大人との文化活動」「家族旅行」が少なくなる傾向が示されています。 博物館や図書館などに行くといったわかりやすい学習モチベーション上昇につながる体験のほか、将来支える一員となっていく社会に対して関心を持つこと、広い社会に触れ得る機会ともなる旅行・レジャーなど、“場”の少なさは学ぶ意欲にも影響すると考えらます。 


②社会スキルの習得機会 

経済的に厳しい家庭ほど、子どもが一人で過ごす時間が多いことが指摘されており、塾や習いごとなど学校外でのコミュニティを得ることが経済的に難しいこと、親と地域社会とのつながりが希薄になりやすいことから起きていることであると考察されます。 


保護者と関わる時間が少ないゆえに基本的な生活習慣も身に着けづらく、関わる人が少なく狭いゆえに“人や社会と関わる力”が育ちにくい可能性が考えられ、これらは将来大人になってからの就業にも影響しかねません

(例えば、「寝坊」「ルーズさ」「人間関係を円滑にできない」ことで就業してもすぐに辞めてしまう原因となるなど)。  


③家庭での機能不全を補完するものがない 

地域社会に相談相手がいない(社会的に孤立した)保護者の子どもはニュースや社会の出来事、文化活動など知的な活動機会を得にくいと考察される結果もありました。相談できないために心に余裕が持てない、子どものために必要なことがわからないなど、親御さんの悩みの深さが察せられます。 


また、逆に言えば、地域社会から孤立さえしていなければ、前述のような機会の家庭外でも補完の可能性もあり、根本にも関わる要素と言えるのではないでしょうか。 



■だからこそ、私たちができること

ということで、先ほどの図の中の赤で囲んだ部分それぞれについて 

〇社会的に孤立しやすい→全プログラム通じて子どもたちが接し、子どもたちをフォローする居場所の設置 

〇学習機会が少なくなりやすい(学習しても「わかる」につながりにくい)→個別の学習支援の場の設置 

〇社会に関心を持ったり、自信をつけたりすることにつながる体験機会が少なくなりやすい→体験機会の設置 


子どもたちの“ちょっと先輩”世代である学生が、近い立場から子どもたちを支援することで、より多くの子どもたちが【自分の未来をつくっていく】バックアップをすること。また、学生自身も子どもたちや経験に学びながら、同じように【自分の未来をつくっていく】ようなプログラムの実施を目指しています。



 ■さいごに 

「本来、親ががんばるべきことでは」と思う人もいるかもしれません。 ただ、経済的に厳しい世帯は親御さんもしんどい人が多く、“がんばれない”こともままあること。 かといって、親ががんばれないからと放置すれば子どもの機会や場の貧困は子どもの未来に影響することでもありますし、それだけでは終わらず私たちにも大きくかかわる日本社会の損失にもつながることは日本財団の研究でも指摘されていることです。  


自分たちの社会の損失(伸びしろでもある)を考えても、【自分自身の将来】を考えても、こうした機能不全と言えるかもしれない部分に対するフォローは、「自分自身にとってのリスクマネジメントである」と考えられるのではないでしょうか。


高学歴であっても経済的に厳しい状態に陥ることも起きているのが今の日本です。 

災害、事故、病気。もしものアクシデントは私やあなたの人生を一変させるかもしれません。 

格差社会に対して、そこに置かれている人に対して何かがしようとして踏み出す自分であること。 

それはその対象者を助けるものであるとともに、『自分が“もしも”の時』に、手を差し伸べてくれる人がいる社会をつくることにつながるかもしれません。 



この記事を書いた人 

IVUSA事務局大坪英里奈 

IVUSA17期卒で関西事務所勤務。 

子どもの教育支援事業や新潟県関川村・三重県熊野市での地域活性化活動を担当。プロジェクト・組織マネジメントでの業務分野としては“アド”をこっそり担当しつつ、学生組織運営のサポートもしている。 

(写真:プロジェクト帰りに学生たちがプレゼントしてくれたバースデーケーキとともに)

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