今回の台風被害が大きかった地域を、ざっくりと旧安房国と表現しますが、特にその西部は「房州石」の産地として、東京湾の埋め立てなど京浜方面に盛んに移出されていたとのこと。戦後は「大谷石」にとってかわられ、現在では全く採掘されていません。富津市、鋸南町にまたがる“鋸山”が、往時「房州石」が豆腐を切り取るように直角に切り出されていた様や、人工的に作り出された断崖絶壁を見ることができる観光地として有名です。鋸南町岩井袋の港には、切り出した石を艀に積み込む桟橋跡が今も残っています。
(出典:photoAC)
地元の生き字引の方々によると、「この道路は切り出したあとに敷いたんだよ」「あのあたりも峰伝いだったんだけどポカーンと山がなくなっているだろ」といった話をあちこちで聞きました。 代々、酪農と農業をされている方は、「爺さんたちから野分は南からと聞いていたが、ここんとこは西からなんだ。南風に強い場所に村を作っていたから西からくるとひとたまりもない。山がなくなったせいかもしれない」と言われていました。
確かに今回の台風による家屋被害は旧安房国西部、南部に面した地域で多い。台風のメカニズムや地勢との因果関係などは研究者に譲るとして、自然とともに生きていた先祖たちの知恵が通じない規模の自然現象が日常化したからなのか、風の通り道を変えるほど人の手が入ったからなのか。生き字引の話は先祖への敬意と、自然に対する畏怖が感じられるものでありました。
旧安房国は、現在鴨川市、鋸南町、南房総市、館山市という行政区になっています。ここに至るまでの経緯もいわゆる平成の大合併によりいろいろあったようです。もともと2市8町1村という安房地域全体での市町村統合の検討から始まりましたが、財政状況格差がありすぎることがネックとなり合併協議会が解散。旧鴨川市と旧天津小湊町が離脱し鴨川市に、その間和田町に住民投票で振られるというおまけつき。
残りの1市7町1村の協議になりましたが、ネーミングで館山市と南房総市に分かれ館山市が離脱。8町村合併推進の町議会と、富山町、富浦町、三芳村との合併推進の町長とで対立した鋸南町が、現職町長の当選で協議会から離脱したが、3町村に振られて単独町政になり、残りの7町村が南房総市になりました。
「他の借金は背負えねぇ」「昔の国府は三芳村だ」「賊軍(榎本海軍)に港貸した館山なんて名乗れん」「里見の殿様が泣いてるぞ」などという住民感情があったのかなかったのか。行政学や文化社会学に興味のある学生はぜひ詳しく調べてみてください。
災害時の支援活動において、地域の区長さんは重要なキーパーソンであり、都会の町内会長さんのような持ち回り役職とは違う実力者が多いのも地方の特徴です。この方の信頼を勝ち取れるかどうかが、外人部隊である我々の支援活動を左右します。また、地域住民や行政との関係づくりおいて自治体の成り立ちや経緯を踏まえて話をしないと、隣の芝生が青にも茶色にもなってしまいます。
今は一つの行政区と言っても、例えば鋸南町岩井の人に菱川師宣の話をしても、「ああ、師宣は保田の人だから」と不興を買う?し、竜島の人に「頼朝公再起の場所ですね!」といえば、「あそこの寺がさぁ・・・」から始まり、地域の実情を詳しく話してくれるものです。こういった地域に密着した情報収集が、支援の抜け漏れを防ぐのに役立つことを、多くの被災地支援で実感しています。
歴史にあまり興味のないボランティアにとっては、小田原北条に屈しなかった里見の話も八犬伝も響きませんが、館山市船形にある那古船形駅舎がAKB48の「会いたかった」PVの撮影地だよ。ファンにとっては聖地だね!お姉さま方には、ビーチボーイズのロケ地って鋸南と館山だそうですよ!夕方に防災行政無線で聞こえる定時放送。館山は週末だけX JAPANの「ENDLESS RAIN」なんだって!雨がエンドレスは困るけどね(笑)。と伝えるだけでも、この場所の呼称が「被災地」ではなく「固有の場所」と感じるもので、知らない被災地へ来た救援者ではなく、当事者意識を持ち、地域に来訪したお手伝いとして、一個人と住民という関係性の中での活動につながります。
不謹慎と思われる方もいるかもしれませんが、救援者意識、支援者側の押し付けにならないコミュニケーションのためには必要なことであり、復旧から復興という長い道のりを、当事者意識をもって歩んでいくためにも大事なことだと、多くの現場経験から感じています。
三回にわたり、この度の台風15号被災地で感じたことをご紹介しました。 まだまだ、復旧作業が山積し、その先の長い復興を考えるとまだまだ道の途端についたばかりです。
今後ますます強大化する台風被害と、ライフラインの途絶による困難に立ち向かっている旧安房国の方々を応援するとともに、この災害から多くの教訓を学び、同じようなことが起こらないようそれぞれの生活圏に翻訳作業を行い、備えていくことも我々にできる防災・減災の取り組みでしょう。 被害に遭われた方々に改めてお見舞い申し上げ、汗をかくボランティアに敬意を払い、地域の復活に尽力するすべての方々と共に。「負けてたまるか!」
この記事を書いたひと
IVUSA危機対応研究所 所長、IVUSA 理事 宮崎 猛志
【地域密着型災害救援家】
平時には、地域防災や危機対応に関する講演やワークショップの運営、応急救命講習の普及に努めている。国士舘大学防災・救急救助総合研究所非常勤研究員、世田谷区防災会議専門部会員、ちよだボランティアセンター運営委員、せたがや防災NPOアクション代表、その他災害VC運営委員、災害NPOネットワークメンバー等
災害救援や地域防災に関する講演やコンサルティングも請け負っています。
ご興味ございましたら以下よりご連絡ください。
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