11月18日・19日とIVUSAも所属している「広がれボランティアの輪」連絡会議が、ボランティア全国フォーラムを開催しまして、その中で行われたパネルディスカッションに登壇させていただきました。
https://www.hirogare.net/forum2022/
そこでコメンテイターをされていた東京大学大学院教授に仁平典宏さんという方の発表がとても興味深かったので共有します。
テーマは、「市民セクターとそれをシニカルにまなざす社会」。シニカルは「冷笑的」という意味で、社会の課題に取り組む市民活動が、「胡散臭い」「やっても意味がない」と言われることが(特にSNS上で)多いのはなぜかということについてデータを引用しつつ、明快に解説していかれました。
私はIVUSAで広報をずっと担当しているのですが、IVUSAの会員で、自分たちのやっている活動を自分のSNSのアカウントから発信することに抵抗を感じる人が多いのはなぜなのかという問題意識がありました。その「答え合わせ」のような気持ちでした。
以下、ポイントを紹介します。
仁平さんの以下の論文を読んでいただくのが一番早いのですが、ざっくりと要約してみました。矢印(→)以降が個人的な補足説明です。
https://nippon-donation.org/papers/932/
1. SNSが普及する前から日本では、社会活動を「偽善」と見なす傾向がある
→今の大学生はほぼ知らないと思いますが、歌手・俳優の杉良太郎さんが自らの慈善活動を「売名」と言われて、このように返したというエピソードがあります。
https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/sugi4
2.日本では非営利組織(NPO)や非政府組織(NGO)のリーダーは、初対面の相手の次に信頼されていない。
→最近、若い女性の支援に取り組んでいる仁藤夢乃さんと、彼女が代表理事を務める一般社団法人Colabo(コラボ)が東京都の委託事業の会計をめぐってネットで炎上しています。ネットに出ている情報を見る限り、相当ずさんだとは思いますので、東京都の担当者も含めて批判されても仕方がないとは思います。それにしても確かに度を過ぎた罵詈雑言が飛び交っているのを見ると、非営利・非政府の市民活動全体が委縮してしまわないか心配です。
3.チャリティへの寄付は世界的に見ても最低水準だが、地域内の活動はそこそこ盛んな日本
→地域内の相互扶助的な活動に参加する人はそれなりに多いが、コロナでかなり減りました。
総務省統計局により5年に1回実施されている「社会生活基本調査」の10回目が2021年10月20日に実施され、2022年8月31日に調査結果が公開されました。
前回調査(2016年)時の2,943万8千人に比べ、今回調査(2021年)では2,005万6千人と大きく低下。
日本の人口におけるボランティア行動者率も、前回調査(2016年)では26.0%でしたが、今回調査(2021年)は17.8%となっており、8.2%の減となっています。
https://www.stat.go.jp/data/shakai/2021/pdf/gaiyoua.pdf
4.「やりがい搾取」というキラーワード
会社にしても、家族・地域にしても、これまでのそこの人間関係が長期にわたることを前提としてきました。そして、長期(終身)雇用・年功序列型の組織では、サービス残業や業務外の付き合いをしたとしても、「元が取れる」と考えられてきました。部活やサークルでも1年生が下働き(アンペイドワーク)をしたとしても、上級生になればそれをしてもらえる側になれます。
しかし、転職が当たり前になり、都市化が進んで地域のつながりが希薄になっていけば、どうしてプライベートな時間を犠牲して、何かの活動に参加しないといけないのかということになるでしょう。
「困ったときはお互いさま」という言葉がありますが、今、相手を助けたとしても、いつか自分が困ったときまでその関係が続いているのかが分からないということですね。
5.今後の展望
→これは仁平さんの表現をそのまま使います(下線は引用者)。
一つは、正当化されないアンペイドワークを社会からなくしていくことである。慣習や権力や同調圧力でタダ働きさせることはやめ、支払うべきものには支払う。必要性や正当性についての説明を吟味して、納得できる活動なら自発的に参加する。ここが明確になるだけで、ボランティア活動を「搾取」だと反射的に警戒するような反応は減っていくだろう。
もう一つは、自集団を越えて他者とつながることを肯定することである。公的な保障制度に加えて、市民の支え合いの公共圏を拡げ強靭にすることは、リスクが増大・不透明化していく中で誰にとってもメリットがあるはずだ。その意味でボランティアや寄付は自己犠牲ではなく、一つの社会的な投資として考えるべきなのかもしれない。
シニカルなまなざしはSDGsにも向けられています。「偽善」と批判され、「意識高い系」と揶揄されることが多くなってきたSDGs。来年2023年は、2030年までの折り返し地点です。
もちろん「SDGsウオッシュ」が多いのは事実ではあるにしろ、それを批判しているだけで、もしくは斜に構えて見ているだけでSDGsが問いかける社会課題が改善されるわけではありません。
31期に向けて、改めて私たちはSDGsにどう向き合うのか、それを社会にどう発信していくかについて議論していく必要があるでしょう。
この記事を書いた人
理事・事務局員 伊藤 章
IVUSAの中では管理業務一般と、広報や社会理解学習のプログラム作りをする係。最近は、海ゴミ問題のキャンペーン「Youth for the Blue」も担当
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