突然ですが、私は大学生になってから西加奈子さんという作家さんの本が好きになりました。
特に、大学3年生の春休みに読んだ『i(アイ)』という作品がすごく好きなので、その話をさせてください。
西加奈子『i(アイ)』(ポプラ文庫)
主人公のワイルド曽田アイはシリアで生まれ、アメリカ人の父と日本人の母のもとへ「養子」としてやってきます。彼女は、血のつながらない両親にいっぱいの愛情を注がれながら育ちますが、だんだんと自分の恵まれた環境に罪悪感を覚えるようになります。
シリアという危険な国で生まれたにも関わらず、たまたま「養子」として選ばれただけで、どうして安全なアメリカや日本で暮らすことができ、裕福な家庭で育てられているのだろう。選ばれた私と、選ばれなかった他のシリアの子どもたち、何が違うのだろう。自分は誰かの幸せや命まで、不当に奪ってしまっているのではないだろうか。幼い頃から、アイは心のどこかでそんな罪悪感を抱えながら生きていました。
現在の幸せで恵まれた自身の境遇を恥じているアイを救ってくれたのは、彼女にとってたった一人の親友ミナの言葉でした。
自分は恵まれた幸せな環境にいて、その事実に感謝しなくちゃいけない。でも、幸せと思えば思うほど、幼い頃から抱えた罪悪感とともにアイは苦しくなっていました。恵まれた境遇にいる自分が「苦しい」と思っていいのだろうか、とまた口をつぐんでしまうアイにミナは「苦しいって、言っていいんだよ」と言います。
「それってあんたの苦しみなんだから。それに嘘をつく必要なんてない」
「誰かのことを思って苦しいのなら、どれだけ自分が非力でも苦しむべきだと、私は思う。その苦しみを大切にすべきだって」
私も、ミナのこの言葉に救われたような気がしました。
私は1年生の春プロから、IVUSAでは「沖縄隊」と呼ばれている沖縄県戦没者遺骨収集活動に参加し続け、4年間遺骨収集に関わってきました。沖縄隊では、現場に出て行う遺骨収集活動だけでなく、太平洋戦史、沖縄戦史はもちろん、日本の遺骨収集活動における課題や人体の骨格概要なども勉強します。戦争や平和について考え、知識を増やしていく中で、どうしても苦しくなってしまう瞬間がありました。
語り部さんから戦時中のお話を聞いた時。資料館で凄惨な当時の資料を見た時。政府派遣で訪れたマリアナ諸島テニアン島で、幼い子どものご遺骨を見た時。4年間の中で何度かありました。
政府派遣で訪れたマリアナ諸島テニアン島のスーサイドクリフから見た空と海 当時多くの日本人がここから海に身を投げました。
どうしようもないくらい悲しくて苦しい過去の事実に触れた時、私はどうしたらいいのかいつも分かりませんでした。過去の事実から勝手に想像して、苦しく思う権利を私は持っているのだろうか。そう感じていたからだと思います。
その時私が感じていた迷いに、アイの罪悪感を重ねながら読んでいました。しかし、物語中盤のミナのあの言葉に導かれました。
自分の感情を否定する必要はないし、誰にも否定する権利はない。
自分でない誰かのために胸を痛めて苦しむことには、きっと意味があるはずだ。
私も、ミナにそう言われた気がしました。
物語の後半で、アイにとってとても辛い出来事が起こり、彼女は深く傷つきます。そして、その傷と向き合うために、アイは今まで感じていた罪悪感や苦しみと向き合います。
「渦中の人しか苦しみを語ってはいけないなんてことはないと思う」
「渦中にいなくても、その人たちのことを思って苦しんでいいと思う。その苦しみが広がって、知らなかった誰かが想像する余地になるんだと思う。渦中の苦しみを。それがどういうことなのか、想像でしかないけれど、それに実際の力はないかもしれないけれど、想像するってことは心を、想いを寄せることだと思う」
想像することだけでは、渦中にいる人の苦しみを無くすことはできないかもしれない。けれど、想像してその人に想いを寄せることで、苦しみの渦中にいる人の心は取り戻せるかもしれない。アイは、この答えにたどり着きます。
アイの答えは、ボランティア活動にあたる上で、私たちも大切にすべきことだと思いました。 IVUSAには沖縄隊だけでなく、様々な分野のプロジェクトがあり、様々な形のボランティア活動があります。苦しんでいたり困っていたりする人のために、目に見える形で力になれることがたくさんあります。若者の元気やマンパワーこそが、ボランティア団体としてのIVUSAの強みであり、それらを使って「課題解決すること」「結果を出すことがボランティア活動を行う意味だと私は思っていました。
しかし、それだけではないと今は思います。
どこかの地域のためや、自分ではない誰かのために、胸を痛めてその苦しみや痛みを想像することにも、ボランティア活動を行う意味があるはずです。ボランティア活動とは、苦しんでいたり困っていたりする「誰かのため」の行動であることが正しい姿だと思います。
私自身沖縄隊などIVUSAのプロジェクトに対して様々な役割をもらって関わるようになり、業務量が増えるにつれて、自分は何のために、誰のために活動に臨もうとしているのか分からなくなってしまう時がありました。心当たりある人、いませんか?そういう時に、一度初心に帰って、「誰かのため」に苦しみや痛みを想像して寄り添うことは大切だと思いました。
作者の西加奈子さんは、この作品を通して「世界にアイはある」と叫んだそうです。綺麗事で陳腐な表現ですが、誰かの苦しみや痛みを想像することは、一人ひとりが自分以外の誰かに対して「愛情」を持つことだと思います。「恋愛」「敬愛」「親愛」…様々な愛の形があります。日々の忙しさや楽しさに紛れて忘れてしまいそうになるけれど、知らない誰かの苦しみや痛みを想像することができる、愛情深い人間でいたい。そう思わせてくれた本でした。
興味を持った方はぜひ読んでみてください。私を知っている人は、読んだらぜひ感想も教えてください。
この記事を書いた人
京都京田辺クラブ4年 衣笠優乃
コロナ禍のおかげでできなかったこともいっぱいの一年でしたが、おひとり様力は上がりました。最近の趣味はネットフリックスでアニメを見ることとひとり映画に行くこと、ストレス発散方法はひとりカラオケです。これでも充実してます。
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