当時二年生の私は初めてできた後輩を災害救援に誘うことに、四苦八苦(*)していた。
(*四苦八苦している様子はこちら)
あまり圧をかけないよう心掛けながら誘うが、そのやり方では、のらりくらりと交わされてしまう。悪戦苦闘の末、何とか一人捕まえることが出来た。だが、口説き落として参加してもらったという訳でなかった。
「7月7、8日空いてる?」
「空いてます」
「災害救援行かへん?」
「行きます」
「おぉ!ありがとう!」
「ウっす」
拍子抜けする程の即答。ありがたいのだが、即答過ぎると「災害救援のことちゃんとわかってるんかな?」と心配になる。その後、災害救援について詳しく説明した。
返事は終始、「ウっす」。いよいよ心配はピークに。
だが、その後輩は現場でバリバリ働き、いい顔をしていた。安心とビックリ。
当時の私は先輩一年生でネツハラするまいという熱意ばかりが先行し、人を動かす、信じるという力が欠如していた。そして、それらの力を遺憾なく発揮する先輩に出会う。
この活動は岐阜県関市で二日間行った。西日本豪雨災害は広島県、岡山県を中心に甚大な被害の様子を報道されており、私は岐阜県も被害が出ていることを活動について聞くまで知らなかった。
現場に行くと悲惨な光景が広がっており、思わず「わぁっ...」と声が漏れた。当たり前だが、報道されることは一部に過ぎず、全てでは無い。このことを改めて思い知らされた。
私が一日目に行った作業は側溝に溜まった土砂の掻き出しであった。その側溝は田んぼに水を通すもので、農家の方にとっては生命線。
私を含めた学生が、側溝に対し横一列に並び手持ちの土のう袋やバケツにセッセ、セッセと土砂を入れる。
手持ちが土砂で一杯になれば運搬係の学生が空の物と交換してくれる。その後、それをセッセ、セッセと土砂を集めている場所に持っていき、捨てて、空の物をまた持ってきてくれる。
災害救援の作業にしては比較的軽い作業であった。
しかし、アッつい!!
その日の最高気温は40度。最初はそんなことは露知らず、「今日はいつもより暑いなぁ~」という感じで黙々と作業していた。しかし、異常に暑いので体調を崩す人がチラホラ。いつもより小まめに休憩を取ることになった。
休憩中、誰かが
「今日40度越えてる…」
と呟いた。それを聞いた瞬間、「限界まで頑張るより体調管理をしっかせな」という気持ちが自分の大半を支配した。
というのも、一人が体調不良になると一人分の労力が失われるのは勿論のこと、その人の看病する人も必要になるため、二、三人分の労力が失われる。そうなると現場のニーズ完遂に大きく遅れを取る。 体調を崩すのは仕方がないことだが、自分はあぁはなるまいと思った。
その結果、その後の作業は終始、現地のことより自分の体調に意識が向いていた。 作業が再開し、自分の体調に全神経を集中させる。
すると突然、
「がんばるぅ〜」
と隣の先輩が呟きだした。
「この人、頭おかしなった」と思った。
しかし、頭はおかしくなっていなかった。周りの人、一人ひとりに「がんばるぅ〜」と声をかけ鼓舞していた。
「がんばろぉ〜」
頭の中で敬意を込めて返す。だが、声は出さない。しんどいから。倒れたくない。
周りにも返事をする人はいない。
「がんばるぅ〜」
一日目の作業終わりまで先輩の声が響く。 「がんばろぉ〜」 周りと共に返事をする自分がいた。
【つづく】
【この記事を書いた人】
横谷謙太朗
大阪東大阪クラブ、近畿大学、4年
28期減災ファクトリー西日本工場長 1年生時に災害救援活動に参加し、その現場での経験から防災・減災に目覚める。その後、防災士の資格を取得したほか、クラブでの減災事業の実施などに取り組んできた。 好きな歌手誰?と聞かれた時に本当はスガシカオだが、それではハネないのでKing Gnu と答えがち。
減災ファクトリーとは
①減災についての知識を持つ人をどんどん生み出していく場
②子ども向け防災プログラム実施を形にしていく製作所
という2つのメッセージが込められたチームです。 様々なコンテンツやイベントを設置しながら、“減災”の考えと行動の普及を目指して活動しています。
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