ネツハラからの脱却Vol.009 西日本豪雨のお話 Part1


私が2年生の時、西日本豪雨(*)の災害救援に参加した。 

そして、1年生の時の災害救援の経験から人手の必要性を感じており、同期や後輩を誘う役を担った。

(*2018年に西日本を中心に広い範囲で水害をもたらした豪雨災害)





同期の声かけは順調であった。新歓を終えたばかりということもあり、結束が強く一人が行くと答えれば
「俺も!」
「私も!」 

と次々と手が上がった。


問題は後輩、1年生であった。入ってきたばかりで名前と顔も分からない。

知らない先輩からいきなり 「災害救援いかへん?」などと誘われたら、さぞかし怖いだろうと思った。 


しかし、参加して欲しい。それは人手の確保というだけではない。体感して欲しかったのだ。災害現場の光景、匂い、空気を。災害はもちろん、社会に対してより興味や見方が変化したことを体感して欲しかった。いわゆる「価値観の変化」。 


当時の私はその「価値観の変化」こそがボランティアを行う動機であり、皆少なからずそれに興味があるものだと思っていた。


一人の1年生に声をかけた。 

「西日本豪雨の災害救援が再来週の土日にあるんやけど、参加しやん?」

「えっ…。災害救援って何するんですか?」

「今回は水害やから、おうちに流れ込んだ土砂の掻き出しとか、土砂で汚れた家財道具を綺麗にしたりとか、整理とか」 

「重労働ですね…」 

「そやな。やけど、体力に自信のない子でも大丈夫やで。休憩細かく取ったりして、対策しているから」

「へぇ〜」 

「去年さ災害救援参加して、見方変わったんよね。災害の。メディアで見るより悲惨で、やけど、そこには人がいて。参加したら価値観変わるで。」 

「そういうの興味ないんですよね〜」 


きょとん。そんなん、えっ? 

自分の耳を疑った。 


「どういう…いみ?」 

「そういうのは、いいっていうか、そこまでは求めてないというか」 

「どういうのに興味あるん?」 

「楽しそうなやつ!お祭りとか!」 


当時の私の気持ちを素直に書くと 

「楽しそうなやつってなんやねん。お祭りの運営補助も表面的には楽しそうには見えるけども、めっちゃ大変やぞ。んで、価値観の変化も楽しいやろ!」

である。  


だが、今ふり返ると暴論である。

まず、「共に生きる社会」と謳っている団体であるのにもかかわらず入れる人、入れない人と分別している点。そして、説明会でお祭りの運営補助を表面的にしか伝えられていない点。最後に「価値観の変化は楽しい」という価値観を押し付けている点。  


この様な「価値観の硬直」によりネツハラは生まれるのだと今なら思う。 


 【つづく】 





減災ファクトリーとは 

①減災についての知識を持つ人をどんどん生み出していく場 

②子ども向け防災プログラム実施を形にしていく製作所 という2つのメッセージが込められたチームです。

様々なコンテンツやイベントを設置しながら、“減災”の考えと行動の普及を目指して活動しています。



【この記事を書いた人】

横谷謙太朗 

大阪東大阪クラブ、近畿大学、4年

28期減災ファクトリー西日本工場長 

 1年生時に災害救援活動に参加し、その現場での経験から防災・減災に目覚める。その後、防災士の資格を取得したほか、クラブでの減災事業の実施などに取り組んできた。 好きな歌手誰?と聞かれた時に本当はスガシカオだが、それではハネないのでKing Gnu と答えがち。 



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