ネツハラからの脱却Vol.008 マグロの佃煮

マグロの佃煮 



今回はネツハラの現場として取り上げている災害救援活動のアナザーストーリーを綴ろうと思う。 


2017年9月30日から10月1日の二日間。
私は大分県津久見市にいた。 
台風18号が津久見市を襲い、甚大な被害をもたらし災害救援活動が行われ、それに参加しためだ。


※当時の活動を知りたい方はこちらへ 




アナザーストーリーは活動2日目の朝食の時だ。 

朝食を取る場所は寝泊りさせていただいた体育館から5分ほど歩いた場所の蓮照寺というお寺で取った。 


何故かと言うと、IVUSAは自己完結型のボランティアのため、事前に食事を確保、調理を行うのでガスを使用する 体育館では使用できなかったため、蓮照寺に場所を使わせていただき、そこで調理し食事をさせていただいたのだ。


その時の朝食が「マグロの佃煮のおかゆ」であった。 

IVUSAでは朝食でおかゆが出てくる事は珍しくない。朝は消化が弱いので少しでも消化に良いものを食べて、作業に精を出して欲しいという調理班の気遣いからだ。 


「でも、マグロ?」 

IVUSAのご飯でマグロなど値の張る食材が出てくることは少ない。何故なら隊は50人から100人と規模が大きいため、値の張る食材をその規模に合わせて用意すると予算を圧迫するからだ たが、調理班は限られた予算で毎回めっちゃ美味しいご飯を出して下さるのでいつも感謝している。  


「何でマグロなんか出てくるんやろ?」 

と思っていた矢先、調理班の方が 

「今日のメニューはマグロの佃煮のおかゆです」 

「マグロの佃煮はお寺の住職さんが差し入れして下さいました。」

「ありがとうございます」 

隊員は声を揃え、住職さんにお礼をした。

 「では、いただきます」

 「いただきます!」 


 私はおかゆを口にした。 

「うっま!!」 

こんなに美味しいIVUSAのご飯は今まで食べたことがない。(当時は一年生であったが、その後も更新されてはいない) 


まず、出汁が違う。佃煮の旨味がお米に染み込んでいる。  

マグロの佃煮は、ほぼ海苔の佃煮でそこに主張しすぎない程度にマグロのフレークが入っているものだった。だが、それが良い。 魚好きの私でも朝からガッツリ魚を感じるものは少し重たい。しかし、魚感が良い意味で薄いので微かに感じる魚感が逆に食欲をそそった。 

そして、この佃煮はとてもさっぱりしていた。 おかゆにしているので薄まっているのかとも思ったが何か他の佃煮とは違う。  


一口、二口噛み締める。 

「山椒や」 

山椒が少し効いているのだ。山椒の清涼感と刺激が味の濃い佃煮をさっぱりさせている。  


それがわかるや否や、美味しさの感動から一気におかゆを掻き込んだ。 
普段は朝ご飯を食べない私だか、二杯もおかわりしをした。 


食後、なんとも言えぬ幸福感に包まれた。 
美味しいものを食べられた幸福感。
美味しいものをいただいた幸福感。 


その時、 「ボランティアってやってあげてるんやないんやな」


当時の私はボランティアと聞くとどうしても「支援者」というイメージが拭えなかった。わざわざ、自分の時間を削り見知らぬ土地に現地のために飛び込み作業をする。

しかし、現実はそうではない。

いや、そういう側面もあるが「してあげている」だけではない。
私たちも受け取っているのだ。
苦しい状況に置かれる方々から。 

それは、佃煮であったり、応援する気持ちや思いやる気持ち、感謝の気持ちだったりを。

マグロの佃煮のおかゆは、ボランティアは「支援者」ではなく「協力者」だということを教えてくれた味である。 




2020年8月10日。 

私は猛烈にマグロの佃煮を食べたくなった。 

コロナ禍で人の温もりに触れる機会が減り寂しくなり、あれを食べれば、温もりに少し触れられる気がしていた。 

ネットを漁る。だが、それらしきものは出てこない。でも、食べたい。  


意を決して、蓮照寺に電話をすることにした。
だが、その時はお寺の名前が蓮照寺とも分かっておらず、場所も知らない。
Googleマップで検索をかけまくり、ストリートビューで見覚えがある道を探し、ようやく探し当てた。  


次は電話だ。電話で佃煮のありかを聞くのだ。
しかし、受話器を持つ手が重い。
いきなり、見知らぬ学生から電話をかけられたらどう思われるか。
覚えてもらえてなかったらどうしよう。
思い出したくない記憶を呼び起こしたらどうしよう。  


そう思うが、食欲がその不安を上回り電話をかけた。
「蓮照寺です」
「私、近畿大学4年の横谷と申します」
「はい…」
「3年前の台風18号の災害救援活動で、津久見市で活動したのですが、蓮照寺で朝食を取らせていただいたことがあります」
「あぁ!覚えていますよ。いつの間にか撤収して。とても統率のとれた団体と記憶しております」

覚えていた!しかも好印象!調理班には足を向けて寝られない。 


「身に余るお言葉です。感謝を申し上げたいのはこちらの方です。大人数の団体に快くお寺貸していただいて。それで一つお尋ねしたいのですが、あの時、住職さんにマグロの佃煮を差し入れしていただきました。その味が忘れられなくて。また、食べたいなって思ったのでお電話させていただいたんです。」
「そんなこともありましたね。その佃煮ならすぐ分かると思います。分かり次第、折り返しお電話させていただきます」

佃煮にありついたぞ!テンションは最高潮。

「ありがとうございます。私、あの佃煮をいただいた時に思ったんです。ボランティアって支援者ではないんだって。私たちも沢山支援していただいている。協力者なんだって。あの時の佃煮で今もボランティアを続けられています。ありがとうございました」 

「素敵なお言葉ありがとう。あなたみたいに弱者に寄り添える人は社会的には誰よりも強い人だと思います」 



受話器を持つ手が震えた。  


その後、何度かやりとりを交わし私が当時食べたものは廃盤になったと分かった。しかし、住職さんのご好意でそれに近い佃煮を送ってくださることになった。ありがたい限りだ。 


荷物が届いた。なんかダンボールがデカイ。 

ダンボールを開ける。 



いや、送りすぎや!笑 

ミカンなんか聞いてない!ありがたい限りだ。 


その時、改めてボランティアは「支援者」ではなく「協力者」だと感じた。 佃煮はマグロがフレーク状からブロック状に進化しており一ブロックでご飯三杯いける代物であった。

温かい。 


【この記事を書いた人】 

横谷謙太朗

大阪東大阪クラブ、近畿大学、4年

28期減災ファクトリー西日本工場長

1年生時に災害救援活動に参加し、その現場での経験から防災・減災に目覚める。その後、防災士の資格を取得したほか、クラブでの減災事業の実施などに取り組んできた。 好きな歌手誰?と聞かれた時に本当はスガシカオだが、それではハネないのでKing Gnu と答えがち。 


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