バーチャルOB・OG訪問 ~オルタナティブな選択をした先輩 その9~

 大学を卒業し、都市部でサラリーマンとして働く人が「ふつう」の今、地方で第一次産業や地域活性化にかかわるという「オルタナティブ」な生き方をしているIVUSAのOB・OGを紹介するこのシリーズ。9人目は、地域おこし協力隊という制度の黎明期に十日町市に赴任し、現在はIVUSAの職員をしている深山恭介さん(17期・拓殖大学出身)です。


Q.どうして地域おこし協力隊に参加したんですか?

 もう10年以上前の話なので、記憶が少しあいまいなのはご了承ください。

 協力隊の制度ができたのは2009年で、ちょうど私が4年生の時でした。IVUSAが活動してきた新潟県十日町市は、当時の市長が地域おこし協力隊の受け入れに積極的だったんです。

中里での一大イベント”雪原カーニバルなかさと”では、
毎年IVUSAの活動の受入をしていました。


 十日町市の中里支所の人たちからは、始まったばかりでよく分からない制度だし、知らない人が来るよりはIVUSAの人に来て欲しいという要望がありました。

 その話が、7期学生代表で十日町市役所の職員をしていた桑原善雄さん→下村代表と来て、私のところに来たというわけです。私は大学卒業後、救急救命士を養成する専門学校に行こうと考えていたので、就職活動はしていませんでした。

 協力隊も任期は3年で、その後で就職もできるし、専門学校に通うこともできそうでした。自分自身は東京出身で地方の現状は全然知らないが、少子高齢化していく今後を考えれば、知っておきたいという好奇心もあったので、勉強させてもらいに行こうと11月に決めました。

 行くにあたっては不安だらけでした。それまで実家暮らしで初めての一人暮らしになりますし、雪道の運転もあります。あと、地域おこし協力隊員にこれをやって欲しいという明確な役割が知らされているわけでもなかったので、行って具体的に何をするんだろうという気持ちもありました。

 あと、十日町市は雪原カーニバルの活動と合宿で2回しか行ったことがなく、「十日町だから行きたい」というわけでは全然ありませんでした。



Q.協力隊員としての活動はどのようなものでしたか?

 一番力を入れていたのは農村都市交流です。2011年の東日本大震災の後は、復興支援のための「サンライズプロジェクト」というものを立ち上げました。これは地域の耕作放棄地(この表現を使うと十日町市の人たちに怒られましたので、「休耕地」と言っていました)で野菜を作り、それを販売した収益を復興支援に充てるというものです。

 また十日町市が世田谷発着で無料のバスを運行し始めました。これは十日町市でボランティア活動をし、有料の宿泊施設に泊まることが条件だったのですが、その受け入れをしていました。

一番力を入れていたサンライズプロジェクト。
収穫した野菜を販売したり、東京でイベントを実施する際の食材として利用し、
収益は東日本大震災の被災地域への支援に充てました。


 その他にも、私が住んでいた地域にはキャンプ場があったのですが、その利活用を進めるために遊歩道を整備したり、ピザ窯を造ったりしました。あとは高齢の人ばかりでパソコンを使える人がいなかったので、コテージに貼る案内を作るのを担当しました。


居住地でもあった集落で管理しているキャンプ場からの眺め。
キャンプ場の整備や利活用促進にも取り組んでいました。


キャンプ場では、毎年お盆にお祭りを実施し、
保管していた雪を使ったイベントも実施していました。


 協力隊員をやっていてよかったことはやはりいろいろな人に出会いことができたことです。中でも印象的だったのは、福島県に実家がある親子でした。実家に帰ったときは畑作業を手伝っていたのが、原発事故の影響によって外で遊べなくなってしまったので、十日町で畑作業ができるのがとても嬉しいと言ってくれました。

 一方で、最初の頃は、地域の人たちに協力隊の存在を理解してもらうのが大変でした。地域おこし協力隊という制度が始まったばかりだったこともあり、住民説明会をして「深山という者がこういう立場で活動する」と話すのですが、説明している役所の人も十分に理解できていないわけです。

 実際、どこまでを「仕事」として進めたらいいかはかなり迷いました。


Q.協力隊以外の暮らしはどうでしたか?

 楽しいと大変が半々くらいくらいでしたね。

 他の皆さんも言われていましたが、良くも悪くもプライバシーというものはありません。

 玄関には鍵をかけませんし、家に帰ってきたら近くの農家さんが自家消費用に作っている野菜がザルに入れて置いてあることがよくありました。また男性の一人暮らしだとご飯を作らないだろうと思われて、晩御飯に誘ってもらい、そのまま晩酌に付き合うということもあります。

 誘っていただけるのはとても嬉しい反面、一人で過ごしたい時もあるわけで、その時はちょっと複雑でしたね。

 あとは、デートしていても車で分かってしまって、次の日いじられることもありました。



特別豪雪地帯で、さらに標高も高いため、毎年3~4mの積雪深になります。
駐車場に車を出し入れする際には除雪が必要です。

 

 ただ、そのまま定住という選択肢はありませんでした。

 3年終わったら東京に帰るつもりでしたし、そのことは住民の皆さんにも伝えていました。でも、任期が残り少なくなってくると、ありがたいことに、「このまま残って欲しい」「こちらで就職しない」かと言ってもらって、ちょっと迷ったのも事実です。


Q.協力隊の経験がどのようなところに活きていますか?

 いちばん身に付いたのは、いろんな世代、特に年配の人とコミュニケーションするスキルですね。

 IVUSAの活動でも、地方の年配の人と接することは多いです。もちろん地域によって違うところもありますが、「みんなで何かをしたあとは飲み会」「自分たちの故郷の土地を守ることに対して強い思い入れがある」「神事としての祭りを大事にしている」といった共通項があります。

 その地域の文化や風習を尊重して活動を進めるということに活きていると思います。

 あとは、物事を進めるには、いろいろな人に話を通さないといけないし、その順番が大事ということですかね。それを間違えて結構痛い目に遭いました。

お借りしていた一軒家です。

12月~3月頃が降雪期で、年によっては1か月間、毎日、毎朝、毎晩、
家の除雪をしていたのは、ダイエットになりましたが、かなり大変でした。


Q.どんな人に協力隊はおススメですか?

 目的意識を強く持っている人ですね。もちろん、自分が変えることができるのは微々たることですし、成果がすぐで出ることの方が少ないです。

 新しいやり方に抵抗感を持つ人も多いですので、気張りすぎないでやったらいいと思います。

 あと、スポンジみたいに何でも吸収したいという人が向いています。逆に、自分の生活スタイルや価値観が確立している人が行くと大変かもしれませんね。

0コメント

  • 1000 / 1000