大学を卒業し、都市部でサラリーマンとして働く人が「ふつう」の今、地方で第一次産業や地域活性化にかかわるという「オルタナティブ」な生き方をしているIVUSAのOB・OGを紹介するこのシリーズ。4人目は大学卒業後、伊豆諸島の利島に移住された高田佳苗さん(23期 旧姓は宮尾)です。
Q.学生時代はどんなことをされていたんですか?
大学では地域活性化や地域づくりを専門に勉強していて、ゼミで石川県能登地方やタイのバンコクのスラム街にフィールドワークに行ったこともありました。
IVUSAでは、2年生の時に利島の活動が始まって、2・3・4年の時に参加しました。活動以外にも利島に遊びに行ったり、内地でイベントがあったときにはバイトでお手伝いしたりしていました。他にも沖縄県の戦没者遺骨収集活動や新潟県の栃尾の活動にもちょくちょく行っていましたね。
利島に初めて行ったきっかけは、1次隊のリーダーが仲のいい先輩で、「手伝ってほしい」と誘われたことですね。その先輩じゃなかったら、たぶん利島には行っていなかったと思います。
利島の活動は、椿農家さんのお手伝いが中心なのですが、ちょうど自分の祖父母くらいの年代の方だったので、田舎に帰省する感覚で行っていましたね。
(桟橋から見上げる宮塚山。
仕事で疲れたときは桟橋でボーッとこの景色を見ています。)
Q.新卒で利島に移住されたのはどうしてですか?
私はもともと鉄道業界を志望していて、車掌さんとかになりたかったんです。
ですが、就職活動がうまくいかずに卒業が差し迫っていた時に、それを利島のカウンターパート(活動の受け入れ先)の方に相談したところ、「それなら利島に住んじゃえば?」と冗談で言われたのを真に受けて(笑)、人生の中で島暮らしをするのもいいか思って決めました。別に深く考えて決めたわけではなかったですね。
住むところが7月からしか空かないということだったので、3か月間バイトをして移住費用を貯めて、移住しました。
ただ私の中では、あくまで利島の会社に就職したという感覚が強く、島暮らしというのは付随的なものでした。
(こんなところで働いています)
Q.実際に暮らしてみてどうでした?
私が仕事をしているのは、株式会社TOSHIMAという会社で、東海汽船という内地と島を結ぶフェリーを運航している会社の代理店です。フェリーのチケットの発券業務を中心に、荷物の受付や観光案内もしています。
結構軽く考えて島に来たのですが、最初戸惑ったのは24時間営業の店がなかったことでした。食べたいものがあれば、コンビニやスーパーに行けば手に入るのが当たり前だったのが、農協は平日のみで5時には閉まってしまいますし、品揃えも内地のスーパーとは比較になりません。不便だなと感じたのですが、逆に言えばこれまでが便利すぎたわけで、そのうち慣れてしまいました。
あとは、「The 田舎」なので、島の人たちは全員顔見知り。ちゃんと人とつながっている感覚があります。体調が悪いときには、誰かがご飯を持ってきてくれるのはありがたいです。
もちろん、つながりが強い分、「昨日〇〇にいたよね」と言われたりしますし、あんまり付き合いたくない人とも顔を合わせないといけなかったりはします。
そんな時は、私は副業で椿農家もやっているのですが、農作業しているといい気分転換になります。
(本土と島を結ぶ定期船さるびあ丸)
Q.学生や他のOB・OGへのメッセージをお願いします。
私は最初3~4年くらいかなと思って利島に来ました。結婚もしたので、今は内地に戻る予定はありませんが、移住と言っても永住するわけではないので、そこまで大きく考える必要はないと思いますね。伊豆諸島はすぐに内地にも出られますし、あまり僻地感もなくておススメです。
特に学生の皆さんには、社会人になって働くと自由になる時間が少なくなります。学生時代は、お金はないけど、自分がやりたいことができる時間はあるので、やりたいことがあるなら、絶対やった方がいいとお伝えしたいです。
あと、研修が充実している内地の企業で何年か経験を積んでから来るのもいいかもしれません。
(新東京百景に選ばれている南ヶ山園地でご近所さんと)
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