【書評】ブルシット・ジョブの謎~クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか~

個人的なことですが、1月中旬~下旬に新型コロナウイルスに家族で感染しまして、20日間くらい家にいないといけない状態になりました。ちょうどいい機会だからと、「積読」状態になっていた本を何冊か読んだのですが、その中で一番面白かった『ブルシット・ジョブの謎』(酒井隆史著 講談社現代新書)を今回は紹介します。


皆さんはIVUSAで活動していて、「この業務は本当に意味があるのか?」「社会に役に立っているのか?」と感じたことはありませんか?

「あなたの仕事は、世の中に意味のある貢献をしていますか?」という質問に対して、イギリスとオランダでは、実に約4割もの人が「していない」と回答したという衝撃的なデータからこの本は始まります。

やっている本人自身も社会的意義があると思っていないけど、「意味がある」「必要である」と繕わないといけない仕事のことを、「ブルシット・ジョブ」といいます(その日本語訳が「クソどうでもいい仕事」)。

もともとデヴィッド・グレーバーという人類学者が提唱し、フィールドワークによって整理していった概念で、この本の著者の酒井さんは、グレーバーの本の訳者の一人です。



この本ではブルシット・ジョブの具体的な例が紹介されているのですが、それぞれのエピソードが結構面白いです。その中でも私が一番印象に残ったのは、証券取引会社のブローカー(営業)の代理で電話アポを取るというジャックという人の話です。ジャックは、「いま〇〇会社の××(ブローカーの名前)の代理としてお電話さしあげています」と連絡するわけですが、その理由をジャックが以下のように分析しているのです。


こんな電話をかけるのにもアシスタントが必要なくらいクソ忙しくて稼いでいるんだとすれば、そのブローカー本人は、顧客となる見込みのある人間にとって、よりいっそう有能な専門家にみえるだろうということです。この仕事には、隣にいるブローカーを実際よりも勝ち組であるように見せる以外に、まったくなんの目的もありません。



なかなか辛辣ですね。こうなると、自分のやっている業務に意義や誇りを持つのは難しいでしょう。


しかし、このようなブルシット・ジョブは決して給料が低いわけではありません。一方、コロナ禍で「エッセンシャル・ワーカー」という言葉がよく聞かれるようになりました。直訳すれば「社会機能維持者」。

具体的には、医師・看護師に代表される「医療従事者」、運送・配送に携わる「ドライバー」、市役所(公務員)に勤める方や保健所に勤める保健師・生活相談や介護・福祉等の分野で働く方々、スーパー等の食料品店で働く店員の方、保育士や学校教員、電気・ガス・水道整備やゴミ収集に携わる方たちなど、社会インフラに関係するような職業・仕事の方々です。



でも、このようなエッセンシャル・ワーカーは給料が低く、業務負担が非常に大きいことが指摘されています。

逆に、給料がよく、そんなに業務負担が大きくなさそうなブルシット・ジョブに従事する人は何がストレスになっているのでしょう?


さらに、ブルシット・ジョブが生み出される背景や社会的構造(ネオ・リベラリズムとの関係性)、エッセンシャル・ワーカーの待遇が低い原因、その解決策(ソリューション)としてのベーシック・インカムなどにも言及されており、かなり射程の広い論が展開されています。


中には、官僚的なシステムそのものや、手続き的公正さを全否定するような内容もあり、個人的にはとても納得できない部分も多々ありますが、「働くこと」のコントロールをいかに個々人が取り戻すかという(私が感じた)全体を貫くコンセプトが、いまの社会に必要なのは間違いないでしょう。


SDGsのゴール8にも、「すべての人々のための持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワークを推進する」とあります。ディーセント・ワークとは、「働きがいのある人間らしい仕事」のことですが、この観点からもブルシット・ジョブの問題は深刻だと言えます。



IVUSAも30期への引継ぎの真っ只中ですが、業務を棚卸しし、「エッセンシャル」と「ブルシット」に仕分けていくためにも、ご一読をおススメします。





この記事を書いた人

理事・事務局員 伊藤 章

IVUSAの中では管理業務一般と、広報や社会理解学習のプログラム作りをする係。最近は、海ゴミ問題のキャンペーン「Youth for the Blue」も担当


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