祭りのあと。004 カウンターパートIVUSAを語る 

IVUSA特別顧問/関川村IVUSA後援会会長/関川村元村長

平田 大六さん  


新潟県関川村での活動が始まってから15年。 当時の村長であり、現在関川村で、IVUSA初の後援会『関川村IVUSA後援会』を設立し会長をされている平田大六さんに当時の思い出と、毎回活動開始日と終了時に交わされる「ただいま」「おかえり」「いってきます」「いってらっしゃい」に込められていた想いをお話しいただきました。 


「村民にボランティアマインドを注入してほしい」 

これは村長在職時に平田会長がおっしゃっていた言葉ですが、今回その原点となるお話を伺うことができました。 



初めて来られたのは、2004年です。

大蛇を担がせてくれと来た。盆前でした。 

遊びに来たなら遊べばいいと言ったが、「仲間を呼んでくる」と。 

その仲間が45人。夜行列車に乗って来たんですよ。 

(2004年当時)



朝5時頃について、迎えに行って、5時半頃お会いしました。 

「あんたがた夜行列車で来たんだから、そして、蛇担ぎは明日だから明日までゆっくり寝たらどうだ」と言ったら「寝ない。何か仕事をさせてください」と。 

「ガキどもの仕事はないよ。明日は祭りで大騒ぎだし」と返したんです。


そしたら、その1週間くらい前にかなり大雨が降って野球場なんかがみんな水だらけになって、ごみなんかもあって。それを片付ける仕事を学生の方たちがやったんですね。夕方まで。 


そこで初めて私は、ボランティアの、あなた方の目的というのを知りました。 ただ遊びに来ているのではないという、初めて、ボランティアというものを理解しました。 


私はかねがね、88年に大蛇パレードを若い人が考えたときに、こういうことを思っていました。 

「うちの村はやっぱり人づくり大事であろう」と。

大蛇も、人づくりで始めたイベントです。

全国に関川村出身の者が出ていって、例えばどっかの大手の企業で、一人採用したい。候補者は2人。片方は関川村、片方はどこかの人。 どっちとるかとなったときに迷わず関川村の出身だったら取れる。 そういう人づくりが大事でないかと考えました。 

「関川村に育った若者だから、どっかの者と比べれば絶対何か違うだろう」と。 そういう村民ができる、村民が生まれるそんな地域を、私は考えていました。 


ちょうどそのころ、学生が来て、次の年も来て。 そして何年かして、学生が帰ってきたときに「おかえりなさい」という言葉を私が使ったんですよ。そうしたら、学生も驚いた。地元民も驚いた。 

「なんで大六が“学生よう来た”と言わず、“おかえりなさい”ということを言ったのか」と。



(2004年当時)



私の目的はこういうことだったんです。 最初は学生に住んでほしかった。全員に移住してもらって、嫁に来てもらって、それが次も続いて…。

でもそれはなかなかわがままなことであって、逆に、むしろ、あなた方をうちの村の子どもと考えて、うちの村に育ったんだから、日本中へ行って、関川村の出身ということに誇りをもってもらいたい。 あるいは世界中へ行って、関川村で経験したんだからということをひとつの誇りにして、世界中へ行って活躍してもらいたい。 


みなさんは関川村の子どもであると。 うちの村の子どもなんだから、よそへ行って、世界中で活躍していってほしい。 そういう気持ちに私はだんだんと変わっていって「おかえりなさい」と。そしてあんたがたも「ただいま帰りました」と。出かけるときは「もっといい子になってこい」。そういうことで始めたんです。 それが、私の原点です。  


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