パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスが10月7日、イスラエル領内に向けて数千発のロケット弾を打ち込みました。さらにハマスはガザ地区近くの集落を急襲。人質130人以上を拉致して連行し、イスラエル軍のガザ地区への報復攻撃に対して、一部の人質を殺害しているという情報もあります。
一方、イスラエル側も「戦争状態に入った」(ネタニヤフ首相)と宣言。ガザ地区への地上侵攻が秒読み段階に入っており(10月18日現在)、これまでの犠牲者数は双方で4,000人を超えています。
今回のハマスによるイスラエル攻撃は、様々なメディアでも、「予期できていなかった」と驚きを持って受け止められています。これだけ大規模な攻勢の準備を把握できなかったのは、世界有数の諜報機関であるモサドの歴史的な失態と言えるでしょう。イスラエル側の被害は、50年前の第4次中東戦争以来の大きさとも指摘されています。
一方で、イスラエル側の報復攻撃に対しては、ハマスを長年支援しているイランが「イスラエルによる犯罪が続けばいかなることも起こりうる、イランは傍観者でいられなくなる」と警告しており、第5次中東戦争にも発展しかねない状況になっています。
もし広域的な戦争にエスカレートした場合、中東に石油の多くを頼る日本にとっても死活問題ですし、欧米の軍事的リソースが中東に割かれることになり、ウクライナ・台湾・北朝鮮などの情勢が日本にとって悪化することも避けられません。
そういった意味では、日本人にとってもかなり「じぶんごと」であるパレスチナ問題ですが、相当歴史的に込み入っています。個人的な備忘のためにもポイントをまとめてみました。
■そもそもパレスチナとは?
場所的には、シリアとエジプトの間。ヨルダン川から地中海までの地域を指します。
出典:https://www3.nhk.or.jp/news/special/news_seminar/jiji/jiji97/
旧約聖書では「カナン」と呼ばれ、「乳と蜜の流れる地」と呼ばれる肥沃な土地でした。旧約聖書にはアブラハムという信仰心の篤い人が出てきますが、「神がアブラハムの子孫にカナンの土地を与えた」と旧約聖書に書かれています。
アブラハムの子どもがイサクで、イサクの子どもがヤコブ。ユダヤ人はこのヤコブの子孫ということになっています。ヤコブの子どもたちはカナンが飢饉になってエジプトに移り、そこで奴隷のような生活を400年くらいしていたのですが、モーセという人物に率いられてエジプトを脱出(出エジプト、有名な海を割るシーンがあるところ)。父祖の地であるカナンに戻ります。そこにはすでにペリシテ人という人たちが暮らしていたのですが、彼らを追い払いました。パレスチナとは「ペリシテ人の土地」という意味です。
■ディアスポラとホロコースト
ユダヤ人たちはカナンで自分たちの国を作りますが、周りの国から攻められ一時的にバビロニアに強制移住させられたり(バビロン捕囚)、神殿が破壊されたりと苦難が続きます。最終的にローマ帝国に滅ぼされ、ユダヤ人は国を失い、世界に離散します(ディアスポラ)。この時に約1,000人のユダヤ人が最後まで立てこもったのがマサダという崖の上の岩山に建てられた要塞で、今は世界遺産になっています。イスラエルの士官学校の卒業生は、入隊前にマサダに歩いて登り、「マサダは二度と陥落せず」と唱和すると言われています。これがユダヤ人としての民族的な原体験の一つです。
ユダヤ人はイエス・キリストを十字架に架けた民族ということで、キリスト教徒からの迫害の対象になってきました。そして第二次大戦のときにナチスによって約600万人のユダヤ人が迫害・虐殺されました(ホロコースト)。
ホロコーストについては、以下のYoutubeの動画をぜひご覧いただきたいです。
■イスラエル建国と4次にわたる中東戦争
19世紀から各地で迫害されてきたユダヤ人たちが、「安住の地が欲しい」「自分たちの国を作りたい」と運動を始めました。これをシオニズム運動と言います。ナチスによるホロコーストの悲劇もあって、国際世論もユダヤ人に対して同情的となり、1948年にイスラエルが建国。それに反発したアラブ諸国とそのまま戦争に入りましたが(第1次中東戦争)、イスラエルが勝利しました。
1967年の第3次中東戦争では、シナイ半島・ヨルダン川西岸・ガザ地区をイスラエルが占領。1973年の第4次中東戦争では、アラブ諸国がOPEC(石油輸出国機構)を作って国際的な圧力をかけたこともあり、シナイ半島はエジプトに返還したものの、ヨルダン川西岸とガザ地区はそのままイスラエルが占領し続けています。
パレスチナ自治区とイスラエルの変化(出典:ikadi.or.id)
■インティファーダ(武装蜂起)路線への転換、そして歴史的なオスロ合意
戦争ではイスラエルに勝てないという現実の中、1987年12月から民衆による武装蜂起が起こりました。これを「インティファーダ」(アラブ語で一斉蜂起の意味)と言います。言葉の響きがなんかカッコいいこともあり、当日の反体制的な運動をしている人たち(私も含む)が好んで使っていました。
第2次インティファーダの際の報道写真(2000年/AFP)
「戦車に石で対抗する子ども」という非常に印象的な写真
これにより国際世論の注目が集まり、イスラエルの側も対応に疲れてきたこともあり、1993年に米国とノルウェーが仲介して、イスラエルのラビン首相とPLO(パレスチナの解放機構)のアラファト議長が歴史的な和平合意(オスロ合意)がなされました。
そしてパレスチナ自治政府をイスラエルが承認。パレスチナ自治政府は「ヨルダン川西岸」と「ガザ地区」で自治を行ってきました。しかし、2006年の選挙でハマスが勝利。ガザ地区を実効支配します。
ハマスは、エジプトのイスラム組織ムスリム同胞団が母体で1987年に創設されました。イスラエルの生存権を否定し、武装闘争を掲げる一方、貧困層の教育、福祉、医療に力を入れています。ヨルダン川西岸は、アラファト議長の後を継いだアッバス議長率いる「ファタハ」という政党が中心となって、イスラエルとの和平交渉を継続しており、パレスチナ自治政府は一体ではなくなってしまっているのです。
■パレスチナ内の格差
ハマスを欧米が「テロ組織」として認定しており、現在の国際社会の「パレスチナ支援」はヨルダン川西岸の方に集中しています。その結果、パレスチナ自治政府の汚職や腐敗が深刻化している一方で、ガザ地区はイスラエルが境界を封鎖しており、「天井のない監獄」とも呼ばれています。種子島くらいの面積のガザ地区に、200万人を超える人たちが暮らしており、失業率も高いです。
ガザ地区の現状がよく分かる動画です。
■今回の攻撃の背景にあるイスラエルとアラブ諸国の国交正常化の流れ
2020年、米国のトランプ政権(当時)の仲介で、UAE(アラブ首長国連邦)とバーレーンがイスラエルと国交を正常化させました。さらにサウジアラビアとの間でも国交正常化の動きもあることで、パレスチナ問題が忘れ去られるという危機感がハマスの側にあったのは間違いないでしょう。
■SNSを通した情報戦
ガザ地区の近くで開催されていた音楽フェスティバルに参加していた民間人260人が犠牲になったニュースは、その時の動画も含めて繰り返し拡散されました。一方、ガザ地区でも空爆によって多くの子どもたちが犠牲になっており(アルジャジーラなどが報道)、その様子がやはりSNSで拡散されています。当然多くのフェイクニュースも流れており、相手への憎悪をいかに駆り立てるかという情報戦の側面が以前にも増して強くなっています。
私たちも極端でセンセーショナルな言説には気を付けたいものです。
この記事を書いた人
理事・事務局員 伊藤 章
IVUSAの中では管理業務一般と、広報や社会理解学習のプログラム作りをする係。最近は、海ゴミ問題のキャンペーン「Youth for the Blue」も担当
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