【コラム】アフガン情勢をなるべく分かりやすくに解説してみようという無謀な試み


米軍の撤退を契機として、8月15日にタリバンがアフガニスタン全土を制圧したというニュースを皆さんも目にしたのではないでしょうか。なぜこのようなことが起きたのかという歴史的な経緯を整理してみました。ほぼ個人的なメモです。



■アフガニスタンってそもそもどこ?

(地図は https://www.jics.or.jp/map/afghanistan.html を参照)


地域としては「中東」になっています。実は中国とも国境を接しているんですね。首都はカブール。ちなみに『アルスラーン戦記』という田中芳樹の小説に「チュルク」という山岳国家が出てきますが、このモデルがアフガニスタンと言われています(チュルクの首都の「ヘラート」は、アフガニスタンの実在の都市から取ったと思われます)。


そして、アフガニスタンはヨーロッパ・中東・中央アジア・南アジア・中国などを結ぶ交通の要衝であり、「文明の十字路」とも呼ばれます。



■1979年のソ連によるアフガニスタン侵攻

1978年に共産主義政権が誕生。その政権を支援することと、イスラム原理主義勢力がソ連に入ってこないようにすることが目的にソ連軍15万以上が1979年12月に侵攻しました。これが原因で、1980年のモスクワオリンピックをアメリカ・日本などの西側諸国がボイコットしました(ちなみに中国も参加しませんでした)。


ソ連軍の侵攻に対して、アフガニスタンの民衆はゲリラ戦で抵抗。彼らは「ムジャヒディン(聖戦士)」と言われ、米国も武器を供与し、支援しました。


ちなみに、スタローン主演の映画『ランボー3』では、アフガニスタンにスティンガーミサイルと支援物資を支援するために現地調査に行ってソ連軍に捕らえられたかつての上官を、ランボーが救出に行くという設定になっています。ランボーは馬に乗ったムジャヒディンと一緒にソ連軍と戦っていました。


結局、ソ連軍は1989年に撤退。戦死者は1万5千人に上り、ソ連にとっての「ベトナム戦争」とも言われています。アフガニスタン側の死者は150万人を超えると言われ、国土は荒廃し、多くの難民が生まれました。


そして、ソ連に抵抗したムジャヒディンの中からタリバンやアルカイダが出てくることになるのです。



■タリバン政権誕生

ソ連軍撤退の後、アフガニスタンは長い内戦状態になります。その中で最終的に政権を樹立したのがタリバンです。パキスタンの宗教学校(マドラサ)でイスラム教スンニ派の教育を受けた神学生を中心として1994年にタリバンは結成されたと言われ、1998年にアフガニスタンほぼ全土を掌握するようになりました(パキスタン政府も支援)。


(男子)学生を意味するアラビア語由来の言葉「ターリブ」を、現地のパシュトゥー語で複数形にした「学生たち」というのが「ターリバーン」という言葉の由来です(今回は「タリバン」表記で統一していますが)。


タリバンは、女性の通学・就労を禁ずるなど厳格なイスラム法(シャリーア)を支配地域に適用し、2001年には偶像崇拝がイスラムの教えに反するという理由でバーミアーンにある世界的な仏教遺跡バーミアーン石窟を破壊して、国際社会から大きな非難を受けました。


日本の公安調査庁は、「国際テロ組織」の一つとしてタリバンを以下のように紹介しています(8月19日現在)。

https://www.moj.go.jp/psia/ITH/organizations/SW_S-asia/taliban.html




■2001年の米国同時多発テロ、そしてタリバン政権崩壊

そして、2001年9月11日に同時多発テロ(事件)発生。首謀者と言われるオサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダをタリバン政権がかくまっており、支援しているとして、米軍・英軍などが激しい空爆を行い、タリバン政権と対立するアフガニスタン北部の軍閥(「北部同盟」と言います)とともに12月にタリバン政権を打倒しました。


日本は、2002年のアフガニスタン復興会議においてホスト国をつとめ、DDR(武装解除・動員解除・社会再統合)という治安維持オペレーションを主導しました。DDRはかなり乱暴に言えば、「刀狩」のようなものです。戦国時代を終わらせる(惣無事)ためには、軍事力(暴力)の一元管理が必要不可欠ですから。


このDDRを指揮したのが伊勢崎賢治さんです。伊勢崎さんは以前国士舘大学でも教えておられたことがあって、その時に下村代表が、「IVUSAでアフガニスタンに学校を作るプロジェクトをしたい」と相談したところ、「今アフガニスタンに必要なのは刑務所」と返されたそうです。


その後、日本国内で様々な批判もありながらも、アフガニスタンでのアメリカ軍支援のために、インド洋上での給油を自衛隊が行い、ODAでも多くの資金を拠出しています。日本にとってもアフガニスタンで起きていることは、決して他人事ではありません。



■なぜタリバンは「復活」できたのか?

政権崩壊後も、タリバンは駐留米軍やアフガニスタン政府を標的とするテロを続けました。


一方、米国はオバマ大統領の時にアフガニスタンからの米軍撤退を決定。バイデン大統領が今年4月に米軍の完全撤退を表明すると、タリバンは全面的に攻勢に出てあれよあれよという間にアフガニスタン全土を掌握してしまいました。


米国をはじめ、英国を含む北大西洋条約機構(NATO)の諸国はこれまで約20年間をかけて、アフガニスタン軍を訓練し、装備の充実に協力してきました。兵力で見ても、タリバン6万に対してアフガニスタン陸軍・空軍・警察合わせて30万以上だったのです。


しかし、実態は「幽霊兵士」と呼ばれる実体のない軍人の給与を上官がくすねる・武器を横流しするといった汚職がまん延していました。また、複雑な紛争の歴史があり、かつ多様な民族・部族が同居するアフガニスタンでは、そもそも一枚岩となる「国民国家」を作り、「国を守る」という意識を軍に持たせることは非常に難しかったのです。結果、脱走・降伏が各地で相次ぎました。


バイデン大統領は、「アフガン軍が自国を守ることができない、もしくは守る意志がないのであれば、米軍がさらに1年間または5年間駐留しても意味がない」と強調しました。


さらに、「アフガン国軍が戦う気のない戦争で米兵が戦死することがあってはならない」というバイデン大統領の言葉は、日本にとっても非常に示唆的ではないでしょうか。



■「タリバン政権」でこれからどうなる?

曲がりなりにもこの20年間で特に女子の人権状況や教育環境は改善してきたのですが、それが逆戻りする可能性が高そうです。


8月17日、首都カブール掌握後初めて開いた記者会見で、内外で懸念されている女性の権利については、「シャリア(イスラム法)の枠組みの中」で尊重するとタリバンは表明。ただ、具体的にどこまでの自由を認めるかについては明らかにしませんでした。


また、旧政府治安部隊の兵士や外国政府と協力したアフガニスタン人に恩赦を約束し、「誰に報復するつもりもない」「すべてのアフガニスタン人のための平和で包摂的な政府になる」「誰も恐れる必要はない」と外国メディアに繰り返し強調しています。

タリバン自体、「独立したフランチャイズ業者が緩やかに、そしておそらく一時的に、結びついた連合体」(元英陸軍将校のマイク・マーティン博士)のようなものであり、崩壊したアフガニスタン政府と同じく決して一枚岩ではありません。さらに、そこに諸外国の思惑が重なってややこしいことになりそうです。


中国は16日にいち早くタリバンとの友好関係を発展させる用意があると表明。米国が撤退した後で一気に中国が影響力を伸ばすのではないかと言われる一方で、米国から中国とロシアが「ババ」を押し付けられたという見方もあります。


ロシアはタリバンをテロ組織として認定していますし、中国は新疆ウイグルのムスリムの人権問題という「爆弾」を抱えています。あと重要なアクターがイスラム教シーア派国家のイランなのですが、これ以上書くと大変なので詳しい説明はやめておきます。


いずれにせよ、米国が撤退した後、テロと麻薬(タリバンの主な資金源)をどう封じ込めるか、そもそもタリバンはアフガニスタンに秩序をもたらせるのかを今後も見ていく必要があります。


この記事を書いているのは8月19日。

ちょうどイギリスからアフガニスタンが独立して102年目になります(1919年8月19日が独立記念日)。




この記事を書いた人

理事・事務局員 伊藤 章

IVUSAの中では管理業務一般と、広報や社会理解学習のプログラム作りをする係。最近は、海ゴミ問題のキャンペーン「Youth for the Blue」も担当

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