振り返る阪神・淡路大震災vol.003【Youth for the Resilience】


国士舘大学OB

阪神・淡路大震災救援活動 第1次・第2次隊参加

①発災時に何をしていたか。何を感じたか。
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当時の私は大学1年生でした。
朝のTVでは、 横倒しなった高速道路、倒壊手前の高速道路に前輪だけ出たバスなど、 それまで見たことも無い被災地の映像が流れ、衝撃を受けた覚えがあります。
しかし、関東圏にいる自身と、神戸の被災地とでは対岸の火事のように 自分とは遠い出来事のように感じていました。

その時期、大学は期末テスト週間でしたが、同じ学部の友人で、後のIVUSAでも共に活動する「O谷君」に誘われ、 第1次阪神淡路大震災の救援活動に参加することになりました。
当時の自分自身を思い返すと、高いボランティア精神があったわけでもなく、 特別な技術を持っていたわけでもなく、何が出来るのかもわからないまま、 本当に何気なく「なにか出来れば」という思いだけで参加したように思います。



②救援活動期間中に感じたことやエピソードなど
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総勢50名位、数台のワゴン車に分乗し、トラックまで持ち込んでキャラバンを組む救援隊の規模感に、 学生以外にも社会人も参加しているのだろうか?と驚いた記憶があります。

全国から送られてくるグリーンピア三木をベースキャンプ地としつつも、 被災者と接点も無く、被災地も目の当たりにせず、 活動期間のほとんどを救援物資の仕分けばかりしていましたね。

色々な救援物資が送られてきましたが、中には?なものも。
温泉の源水が入った数十本のポリタンク、恐らくは何か飲み物が入っているであろう魔法瓶一つ、 「善意」とは言いつつも、被災地のニーズに合っていない一方的な「善意」がたくさんありました。 でもきっと人の数だけ「善意」の形はあったのだと思います。

活動期間の最後の数日、とある避難所のお手伝いに行かせてもらいました。 それが神戸市東灘区本庄中学校です。
体育館が避難所となっていて、 当時確か700人位が避難していたかと思います。 避難所での活動は、入り口に貼られた膨大な数の安否確認の情報整理、 家族を探している人、家族に無事を伝えたい人等々、子供からお年寄りまで、 沢山の人の情報が貼られていました。

避難している方たちからは、ボランティアに対して好意的に見る人もいる一方で、 「どうせ物見遊山で来てるんやろ?」「売名行為だろ?」など心無い言葉を投げかけられることも。 思いがけない言葉に悲しい気持ちになった覚えがあります。
しかし、撤収する最後の日に、被災者の前で最後の挨拶をする機会があり、 その時は、あちこちから「来てくれてありがとう!」という言葉をかけていただき、 その場にいた誰もが、感極まって泣いていた記憶があります。

1次隊帰京後に間をあまり置かずに2次隊が派遣されることを聞き、引き続きそちらにも参加しました。
2次隊は最初から本庄中学校の避難所運営に携わりました。避難生活が長くなると 避難している住民同士のトラブルも増え、それらの対応に追われることも。 1次隊の時には感じられなかった経験がありました。

2次隊も2月で派遣期間が終わった後、3月に入って春休み期間中、今度は個人として同じ避難所に再再訪しました。
この頃になると避難所にいる人は100人を切っていたと思います。避難所運営と言っても、 「そこにいることが仕事」のような形になりました。4月になる前に帰らなければなりませんが、 被災者との関わりの中で、被災地にのめり込み過ぎて帰るに帰られず、 下村代表から「どアホ、はよ帰れ!」と叱られてやっと帰ることが出来ましたね(笑)
きっと非日常の刺激が強過ぎたのでしょう。
このあたりはIVUSA物語の1巻の中でも触れられていたように思います。

余談ですが、2次隊で共に活動し、その後友人となった「H林君」。
大学の入学式で自分の右斜め前の方に立っていて、見るからにカタギじゃない雰囲気に、 「ああ、こういう人とはきっと卒業するまで友人になるようなことは、【絶対】に無いだろうなぁ」と思っていたのに! 人の縁はとても不思議なものです。人を見かけで判断してはいけません(笑)
阪神淡路大震災は私にとって、沢山の人たちとの御縁を頂いたという一言に尽きると思います。



③その後
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IVUSAの活動では「東海恵那豪雨災害」や「台湾中部大震災」、「中国地方震災」などの救援活動に事務局員として参加しましたが、 未曾有の被害となった「東日本大震災」など、これから先の人生でもきっと大きな災害は必ず起こると思います。
家族を守るために、自分自身を守るために何ができるか?ということを考える機会が増えました。
日常の中で「非日常」を想像することは簡単なようで簡単では無いように思います。 それでも自分ができる範囲で良いと思うので、何かしら取り組めたら良いのかなと思います。

阪神大震災から26年、今私はとある医療材料を扱う専門商社の総務人事を担当しています。
通常業務以外に、災害時における地域の基幹病院への緊急対応マニュアル(災害対策基本法に基づく)を作成したり、 衛生管理者として社内の新型コロナ感染対策なども担当しています。



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▶『Youth for the Resilience』とは
東日本大震災から10年となる今、私たち若者が自らの大切なものを守るための「備え」と「行動」を身につけることを目的とした「若者の災害対応力向上キャンペーン」です!
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事務局 三浦 慎爾
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